岸田首相の「戦没者」に対する言葉に感じる違和感

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終戦の日に際し、岸田首相は式辞を述べた。 戦没者を悼むことに反対はしないけれど、以下の部分に違和感を感じる。

今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。

戦没者には民間の死は含まれないから、「戦没者」は軍人の死を指している。 彼ら軍人が米帝の侵略から命に代えて日本を守ってくれたからこそ、今日の平和があるという意味に読める。

けれど、戦争に一方的な被害者は存在しない。 誰もが被害者であり、同時に加害者だ。 日本軍は真珠湾攻撃によってアメリカに参戦の口実を与えた。 アメリカが奇襲攻撃を予見していたか否かはあまり関係がない。 だから日本には被害者の側面と、同時に加害者の側面がある。

大量の戦没者を出したことは人災だ。 加害者に回らない選択肢は常にあるからだ。

これからの平和を強化していきたいなら、かつて自分たちが加害者であった事実から目を背けることは出来ない。 自らの失敗を直視しない人が、行動を改められるとは考えられないからだ。

スマホ夜更かしをやめられない人は、巨大テック企業の陰謀の一方的な被害者なのだろうか。 そうかもしれない。 それでも、少なくとも寝る前にスマホを手に取ってしまう自分から目を背けている間は、今夜も夜更かしをする可能性がある。

原爆を落とされた日本は一方的な被害者だろうか? 被害者であることは確かだ。 それでも、少なくとも何が原爆投下につながったのかを考えない間は、日本は再び大きな傷を負う可能性がある。

たしかに帝国主義的な世の中に置かれたかつての日本にとっては、帝国主義的に振舞うことは自然なことだったかもしれない。 それでも今日を生きる自分たちが当時と同じ状況に置かれたとき、再び加害者側に立つのかどうかについて考えることは平和を考えるうえで避けては通れない。

だから岸田首相の言葉には違和感を感じる。 「皆様の尊い命」は守れた可能性があるからだ。 避けられたかもしれない被害を被った方々にたいして感謝するとはどういう意味なのだろうか。 これが未曽有の山火事から日本を守るために不幸にも命を落としてしまった方たちへの言葉なら、ここまで違和感は感じなかったと思う。 天災は避けられないからだ。

戦争は外交の失敗だ。 戦争は人災だ。